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なぜ「憲法9条を保持する日本国民」はノーベル平和賞に選ばれなかったのか?

 一般人はノーベル賞とは無縁である。
 が、日本国民であれば、誰もがこれを受賞できる機会がやって来た。
 なんと「憲法9条を保持する日本国民」が、ノーベル平和賞候補にノミネートされたのである!
 それも一炊の夢であった。
 凡人たちに与えられた唯一の機会は、あっさりと失われてしまった。
「『憲法9条にノーベル平和賞を』実行委員会」は、来年こそはと意気込んでいるが無理であろう。
 来年の日本は、もはや平和国家ではあるまい。

 9条ノミネートについて平和賞決定前の閣議前に
「結構、政治的ですよね」
 と、総理がのたまったというが、むしろ、マララユサフザイ(ユスフザイ)さんらの受賞こそが政治的であろう。
 彼女を受賞させたということは、テロリストどもにケンカを売ってあおったということである。
 ヤツラの感情を逆なでさせても処理できていれば問題はない。できていないから問題なのである。
 同時にインドの人権活動家カイラシュ・サティヤルティ氏を受賞させたのも政治的である。
 印パ出身者を同時に平和賞受賞させることによって、カシミール問題に釘を刺したということであろう。

 今回の受賞で唯一支持できそうな点は、「棺桶に片足を突っ込んでいるような方」ではなく、史上最年少の若者が賞金を手にすることである。
 が、これも役立てることはできまい。
 戦時下で女子供を守るために大金を投じたところで、壊されたり奪われたりするだけである。
 戦争という力の支配をやめさせないことには、法の支配は確立できない。
 一方で、法の支配は力の支配の前には無力である。
 そのため人類は、法の支配を主張しながら力の支配を誇示してきた。
 紀元前から現在まで、争いが絶えないのはそのためであろう。

 この世の中は無常であり、永遠に続くものはない。
 にもかかわらず「永久不戦」なのである。
 つくづく「憲法9条を保持する日本国民」が受賞を逃したのは残念に思う。
 ノーベル平和賞という偽善の賞に、これほどふさわしいものは他になかった。
 あまりにふさわしすぎたために、退けられてしまったのであろう。

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桜田史弥.

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歴史チップス」の現代版です。

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